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私が岩泉に来たわけ その1

2017.4.6

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執筆者:塚原 良子(2005.3 移住)

 
ずばり。豆腐です。

 

私が岩泉を初めて訪れたのは2002年10月でした。その頃、一度社会に出てからまた再び学生に戻る 出戻り学生をしていた私。動物の行動学を通して、人の暮らしに活かすことをテーマとしていました。そこで、岩手が産地である肉用牛の1つ、日本短角種の調査で、岩泉に入りました。

 

盛岡からさらに太平洋側に走ること約2時間。どっぷり車酔いも味わった頃、山あいに暮らす岩泉の農家さんと短角と出会うのです。その時の山はすっかり紅葉も進み、黄色が主体のドングリの森のような雰囲気。木漏れ日も、大げさではなく、キラキラ、金色に見えました。

 

 

その雰囲気が忘れられず、戻ってから周りに話すと、
 
「岩手ってところは寒いぞ~。冬を知らずして岩手がいい、なんて言うな。」
 
と言われ。言われるまんま、翌2月。自分勝手な思いのみで岩泉町役場に電話。幸運にも、当時、観光課にいた職員が
 
「うちの実家で良かったら泊まりにおいで」
 
と言っていただきました。当日は役場に着いた私を、他の職員のお母さんが作られたという煮しめが待っていてくれて。これまた味のしみた大根のおいしいこと。それからしばらく、職員のご実家、安家(あっか)地区にお世話になるのです。

 

 

安家とは語源がアイヌ語で、「清い水の流れるところ」という意味だそうです。その安家の清流に再び衝撃。なんとまぁ、きれいな川だこと。その夜はおばあちゃんが手作りの硬い豆腐を田楽にして、串に刺し、地味噌を塗って炭火で焼いたものをご馳走してくれたのです。豆腐を自宅で作って、しかもその豆腐が串に刺さって崩れないなんて。。。。

 

地味噌の他にも、大根おろしをつけて食べるバージョンも。炭火なんて、バーベキューの時に見る程度の物を当たり前に使い、頬を赤らめながら、どの豆腐が焼けたか見ながら ここでの暮らしを話してくれるおばあちゃんとの会話は、遠赤外線効果で心まですっかりポカポカでした。

 

そして、豆腐づくりに使ったざるを私が「洗います!」と話すと
「な~に、いいんだ。川に洗いに行くから。」と。

 

か、川?? 外に出て行くおばあちゃんの後ろをついていくと、その清流でジャブジャブ洗い物をしていたのです。山山に積もった雪が作る白銀の世界と、その下を流れる清流。そこに竹ざるを洗うおばぁちゃんとそのわんこ。その一枚の絵にすっかり心を打ち抜かれてしまいました。その熱が1年経ってもさっぱり覚めず。

 

 

その後、岩泉町長に「仕事はなんでもいいから働かせて欲しい。」とのラブレターを一方的に送り、また、短角牛調査で同行いただいた試験場の方にも就職口を相談し。その自分勝手の塊のような人間を、町は受け入れてくれる決断をして下さったのです。

 

5年間は町の第三セクターで、農産物の集荷・販売業務を担当。30kgの米袋を楽に担げるようになってしまい、筋肉隆々。陰では「あれは、年寄りと短角にしか興味のない変わり者だ」と言われ続け、12年目を迎えています。

 

現在は岩泉町役場へ転職し、5年前に隣りの町の方と縁があり、(縁を無理やり作り?)家庭をもつこととなりました。結婚式ではケーキ入刀ではなく、安家豆腐入刀をしてしまった後日談も。

 

 

私の移住の理由は豆腐です。そして、定住の理由は「人」です。日本も広いし、山里もまだまだあります。そして世界にも人を魅了する景色も自然も食べ物もきっとたくさんあります。でも、そこに暮らす魅力的な人々はそこにしか住んでいない、超希少価値の高い生物?です。

 

くだらない話をしながら暮らしの知恵や食べ物のこと、濃すぎるくらいの人間関係。山仕事をする人の手も、だんごをさささっと作り上げる手も、本当に惚れ惚れする手です。私が70才、80才になった時に、目の前にいるじいちゃん、ばあちゃんができることのどの程度、自分でできるようになっているのか。豆の蒔きどき、作物の収穫のタイミング、チャンスは後何回?! じいちゃん、ばあちゃんにはしっかり、伝授してからあの世に行ってもらわないと困ります!

 

 

最後に、移住っていいな、と少しでも思って下さった貴方へ。はじめから「骨を埋める」とか気負わなくていいと思います。私も初めは、定住なんてきっとできないだろうな、すぐ、くじけるだろうな。もう無理だと思ったら尻尾巻いて帰ろう、そう思っていました。

 

でも、私の場合は今のところ、一度も帰ろうと思ったことはありません。想像していたよりも、もっともっと美味しいもの、楽しいことが多かったんです。本当にたくさんの方に恵まれました。とにかく、たくさん、助けていただいています。感謝してもしきれません。

 

先の事は予想しても、準備しても、想定外のことばかり。まずはほんのちょっとの間でも、おいで下さい。そこの空気を吸って、歩いてみて、美味しそうな物、自分の舌で味わってみて下さい。足かせって案外、自分で重くしちゃっています。人はどこでも、暮らせますよ!
 
塚原良子さん略歴
福島県生まれ 茨城大学大学院農学研究科卒業
2005年3月 岩泉へ移住 2010年より 岩泉町役場栄養士

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一般社団法人 KEEN ALLIANCE
岩泉町移住コーディネーター穴田光宏